【SUBARU FORESTER】水平対向の鼓動、クリムゾンの夜明け

午前四時の駐車場で、エンジンをかけた瞬間のあの音が好きだ。
低く、くぐもった、ドロドロという水平対向の鼓動。
「……いい音」
助手席に滑り込んだ湊が、
ドアを閉める音まで心地よさそうに目を細めた。
ベージュのスカーフを巻いた彼女は、整備士の僕より、
このクルマのことをよく知っているんじゃないかと思う瞬間がある。
クリムゾンレッド・パールのフォレスターは、
街灯の下では深い赤、
朝日を浴びれば燃えるような紅に変わる。
三年前、僕がこのクルマを中古で見つけたとき、
たまたま一緒にいた湊は、深い赤に目を奪われて笑った。
「この色、絶対ほかの人には渡さないで」
大げさだなと思いながら、僕はその日のうちに契約した。
それが僕らの始まりだった。

「今日はどこまで行くの?」
「峠の向こう。日の出に間に合うところ」
シフトレバーならぬセレクターを動かしアクセルを踏む。
シンメトリカルAWDが路面を掴み、車体がすうっと前に出た。
県道に入ると、空はまだ群青色だった。
ヘッドライトが濡れたアスファルトを切り取っていく。
カーブが連続するワインディングで、
ステアリングを切るたびフォレスターは僕の意思より半拍だけ早く、
素直に向きを変える。
重心の低さが、背骨に伝わってくる。
「ねえ、今のコーナーちょっとだけ攻めたでしょ」
「バレた?」
「だって、Gのかかり方がちがったもん。でも、全然こわくなかった。
ちゃんとクルマが守ってくれてる感じ」
湊はそう言って、窓を少しだけ開けた。
冷たい山の空気が入り込み、彼女の髪が揺れる。
その横顔がダッシュボードの青白い光に縁取られて、
僕は一瞬、道を見失いそうになった。
「前、見て」
「見てる見てる」
「嘘。今、私見てたでしょ」
図星だった。耳が熱くなるのをエアコンの風で誤魔化す。
標高が上がるにつれ路面に霧が溜まり始めた。
そこでようやく、僕はこのクルマを選んだ理由を思い出す。
アイサイトの穏やかな警告音、悪路でも落ち着きを失わない足まわり。
そして何より、
「帰り道まで一緒に走り切れる」という静かな信頼感。
派手さで人を驚かせるクルマじゃない。
でも、乗る人の隣にずっといてくれる。
峠の頂上近く、未舗装の展望台への分岐が見えた。
路面は砂利と湿った落ち葉。普通なら躊躇するところだ。
「行ける?」
湊が少し心配そうに僕を見る。
「フォレスターだよ?」
僕が笑って答えると、彼女も安心したように笑った。
X-MODEをオンにする。
ダッシュボードのランプが灯り、
タイヤが砂利を噛む低い音が足元から響いた。
車体がわずかに揺れながら、確実に前へ進んでいく。
まるで「任せろ」と言われているみたいだった。
展望台に着くと、東の稜線がちょうど白み始めていた。
エンジンを切る。
突然の静寂。

さっきまで響いていた鼓動が消えて、
代わりに聞こえてきたのは、隣で息を吐く湊の呼吸と、
自分の心臓の音だった。
「……すごい」
雲海の向こうから、最初の光が走る。
それがボンネットに落ちた瞬間、
クリムゾンレッド・パールが燃え上がるように輝いた。
深紅の奥に、金色の粒子が灯る。
「ほら、この色。朝日のためにある色だよね」
湊が身を乗り出してフロントガラス越しに空を見つめる。
その横顔が、赤い光に染まっていた。
僕は、ずっと言おうと思っていた言葉を、
喉の奥で何度も転がしていた。
「湊」
「ん?」
「このクルマ、次の車検、通すつもりなんだ。で、その次も、その次も」
「うん」
「だから、その……助手席、ずっと空けておくから」
自分でも情けなくなるほど、遠回しだった。
湊はしばらく黙っていた。
それから、ゆっくり僕のほうを向いて
いたずらっぽく目を細めた。

「それ、プロポーズ?」
「……車検三回分くらいの、予約」
「長期契約だね」
彼女は吹き出して、それから僕の手の上にそっと自分の手を重ねた。
指先が、少しだけ冷たい。
「いいよ。じゃあ私は、走行距離、一緒に伸ばす係ね」
朝日が完全に昇りフォレスターの赤がいちばん鮮やかになった瞬間、
湊が小さく呟いた。
「もう一回、エンジンかけて」
キーを回す。
ドロドロと、あの低い鼓動が目を覚ます。
その音に重なるように、湊が囁いた。
「ねえ、この音、好き。あなたの隣で聞く音がいちばん好き」
胸の奥が水平対向みたいに、左右から同時に打ち鳴らされた。
僕はアクセルに足を乗せる。
帰り道は、まだ長い。
でも今日からは、ずっと、二人分の道だ。
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