古寺巡礼
こんちには。セールスの川本です!
だんだんと冬が近づいてきましたね。本日は社員の休日紹介ということで、最近ハマっている古寺巡りについてしたためます。土地の方にとっては何を今更という内容かもわかりませんが、関東出身の私には感動の連発でして…コロナが再燃するまではこの秋にレヴォーグでいくつもの寺院を巡りました。そんな青い旅日記?です。(大分長いですので、興味のない方はスクロールして本題へ進んでください。)
浄瑠璃寺
奈良の中心街から府県境を超え京都の山へと車を走らせること30分。およそ寺院などあるようには思えない山村に浄瑠璃寺はあります。ここに祀られているのは藤原期の国宝、九体阿弥陀如来像。膨よかで落ち着いた出立ち、仏師は西方浄土を想い描きながらその優雅な時の流れをこの御仏にこめたのでしょうか。勿論、単純に数で比較すれば三十三間堂の千手観音立像は圧巻です。しかし、シンプルに九体がこの山の中にひっそりと佇んでいることが、尊さを紡ぎ出しているように思えてなりません。
そして、特に私が惹かれたのは庭園。平等院鳳凰堂と同じ伽藍配置は此岸から彼岸への流れをかたどっていると言われていますが、昼過ぎに山の端から日光がぼぉーと照らすその大き過ぎない庭園の人為的なものと自然的なものとの調和が私には美しいと感じました。
常寂光寺
人為的なものと自然的なものの調和でいうともう一つステキなお寺が思い浮かびます。京都小倉山の麓、かつて藤原定家が百人一首を編纂した地と伝えられる常寂光です。
時は冬の始まり、モミジのほとんどは苔むす地面を覆い尽くし紅葉のピークは過ぎていました。けれど、過ぎていたからこそ、どこか寂しげな様子が、たまらなく愛しい。目と鼻の先の天龍寺のように夢窓疎石作庭の庭園とか、清涼寺小堀遠州好みの枯山水が好きだと言えば、様になるのかもしれません。一方、私にはそれら有名な庭園が修行故の審美眼であったり千利休の侘び寂びの精神を超えた先にある明るさであったとしても人為的過ぎると感じてしまうのです。どこか自然本来の味わいが残っている庭。そんな庭が和歌とゆかりのあるこの地にひっそりと佇んでいます。
當麻寺
「彼の人の眠りは、徐かに覚めて行った。まつ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでゐるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。した した した。…」二上山に眠る大津皇子の目覚めを折口信夫はこう表現しました。二上山の麓、この當麻寺で藤原の郎女と大津皇子の魂の交感を描いた『死者の書』。この寺を訪れてから本書を読み始めましたが、元々西洋趣味の私にとっては不慣れな古語調、少し読みにくくはあります。しかし當麻曼荼羅を折り上げるまでのエピソードにはまるでサスペンスドラマのような緊張感が漂うもの。
一方、そんな伝説もさることながら、私が好きになったのは中之坊庭園。東塔の下、決して広くはない敷地に緑色のグラデーションが広がっている…。訪れたのは夏の終わり。茶室から眺める光景の中には緑の中に絶妙に配置された灯籠や瓦、石の数々。この絶妙さ加減がたまりません。
帰りは堺の自宅まで中央環状線、日本最古と言われる国道、竹内街道を帰ります。およそ1500年前、この道を貴き人々や異邦人が大きな古墳に恐れ慄きながら都へと向かったのでしょう。
天の原
ふりさけ見れば
春日なる
三笠の山に
出し月かも
こう詠んだ安倍仲麻呂の旅路の行末は、唐での死去。彼の望むところとはなりませんでした。もう一度、この道を二上山へと駆けて行きたかったことでしょう。私が毎日のように行き来するこの道を、その光景を、彼がどれほど望んだことか。
と、随分と、私の妄想が広がってしまいました。
このような感慨は車での旅だからこそ湧き出るものなのかなと、ふと思います。車に乗ることで、好きな時に好きなところに行ける自由を、私は手に入れました。それはとっても幸せなことです。
そして、ここからが本題。今週もNEW LEVORG DEBUT FAIR開催中です。試乗頂いた方には、なんと「ぶつからない!?ミニカー」をプレゼント!!今週も混雑が予想されますので、試乗ご予約の上お越しください。
アイサイトXやコネクテッドサービス、11.6インチナビ、液晶モニターなど新しい機能が盛り沢山のLEVORGですが、試乗してみた感想としては、走りがとにかく違うということです。ここ数年スバルが目指してきた動的質感の一つの頂点がこのLEVORGの走りといえるのではないでしょうか。お寺の美しさが言葉ではいい表せないのと同様、車の走りは乗ってみなければわかりません。是非、是非、ご試乗にお越しください!