重大情報と真夏の夜の怖い話?
こんにちは。中環北堺店セールスの川本恭平です。重大発表があります。
9月2日(木)から新型LEGACY OUTBACKの先行予約が開始になります!!順次新型車の魅力をお伝えしていきますが、詳細は店舗スタッフまでご連絡ください!
ここからは個人的な話です。
お盆の時期は大雨で涼しくなってきましたが、まだまだ真夏日が続きますね。今日は少し涼しくなる?話をします。
先日、友人宅にお邪魔した際に、友人が「怖い映画見ようぜ〜」と突拍子もなく切り出し「貞子がいい?犬鳴き村?それともリング?アメリカ版もあるよ??」と私を追い詰めてきます。怖い映画はちょっと…と「リング…、ワッツ?ナオミ、ワッツ??」などと誤魔化していると、「じゃあこれは見たことある?」と最近の映画を紹介されました。タイトルは「GET OUT」ホラー映画なのですが、笑えるシーンもあり、考えさせられる部分もあり、よく調べてみるとこの年の米国アカデミー脚本賞を受賞した作品なのです。人種をテーマにした本作は、世界を色眼鏡で見ることの無自覚さを問うています。
(GET OUTの主人公はニューヨークの写真家であった。写真は不穏な積乱雲が発生するマンハッタン島南端)
思えば、私は旅することが好きですし、コロナが流行してからは映画や舞台をオンラインで見ることが多くなりましたが、それは色んな情景を眺めることで自由になりたいという、そういう欲求が働いていると思うのです。映画や舞台というのは、場所も時代も人種も超えて、色んなところに連れて行ってくれる旅です。実際には存在しない生き物も出てきますし、神や幽霊といった「見えないものが見える」という体験も物語の中では信じられます。
絶妙なのは、「『見えないものが見える』ということが私にもありえるかもしれない」と思わせる話でしょう。前述の貞子やリングといった映画は、大人になっても「出る」のではないかという恐怖を我々に植え付けますし、あるいは「そういう幻影が見えてしまうのも納得するよね」という登場人物への共感を誘うケースもあります。
それは大昔からのことで、たとえば演劇史上最大の劇作家ウィリアム・シェイクスピアの「マクベス」では国王を暗殺し自分が国王に上り詰めたはずなのに毎晩のように殺した国王の亡霊を見て錯乱し、ついには破滅する様子を描いています。前半は国王へと上り詰めていくマクベスの野心に共感し、後半は人殺しの恐怖に惑うマクベスの人間性に共感するのです。そして、マクベスは悪者であることには間違いないのに、どこかで彼の最期に同情してしまいます。
そもそもこの話は1606年に初演されたと言われていますが、イギリスでは1603年にエリザベス女王からスコットランド王ジェームズ1世紀へとその統治者が移ります。エリザベス女王の庇護を受けていたシェイクスピアとしては今度はジェームズ1世の庇護を受けたい。そこでマクベス亡き後にスコットランド王の血筋が国をおさめるという結末を用意しました。「最後にこの世をおさめるのはスコットランド王、あなたですよ」と忖度したのでしょう。
(ウェストミンスター寺院では代々イギリス国王の戴冠式が行われる。テムズ川の対岸にはグローブ座がある。ペストの流行した当時は劇場の封鎖も日常茶飯事だった。)
この年は奇しくも関ヶ原の戦いで日本の天下人が豊臣秀吉から徳川家康へと移った年であり、出雲阿国が「かぶき踊り」をはじめた年でもあります。17世紀に入り、時代は前近代から近代へ。神や王侯貴族中心の社会から市民社会への移行し、民衆の娯楽が栄えはじめます。元々古代ギリシアのオルケストラで民衆が演じた演劇はシェイクスピアのグローブ座(円形劇場)によって復興(ルネサンス)されたと言えるでしょう。同様に日本では、公家や武家の雅楽や能に対して民衆の歌舞伎がはじまるのです。
(出雲阿国の墓)
話はそれましたが、亡霊が出てくる話というのはマクベスのように、亡霊を呼び起こしてしまう生きている側の人間の弱さが原因となるケースが多くあります。例えば、鎌倉期の後白河院は崇徳院の亡霊を畏れて平清盛に三十三間堂を建立させ、そこに千体の千手観音立像を彫らせました。あるいは、藤原時平の策略で失脚した菅原道真は怨念となって京の都を襲い、今では京をはじめ全国に天満宮が建立されています。「菅原伝授手習鑑」で藤原時平が吉田神社で大笑いするシーンは権力を握ったことへの喜びと同時に笑うしかないという切なさも感じるのです。
(三十三間堂は、はじが見えないほどの長さ)
一方で死者の怨念ややりきれなさが原因となり亡霊となるケースも多くあります。
例えば、シェイクスピアの「ハムレット」ではハムレットが冒頭に父親である亡き国王の亡霊と出会いますが、国王の亡霊は、王を暗殺した現在の王の敵討ちをハムレットに求めるのです。あるいは、後白河院に島流しにされた崇徳院は次のような和歌を詠みました。
瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思う
小倉百人一首で有名なこの和歌は、少女漫画などでは「一度別れても、また会える」という青春の一期一会や男と女のラブゲームにたとえられることが多いですが、実際のところは、「島流しになったとしても待っていろよ」という恐ろしい挑戦状とも受け取れるのです。
現在でも迷信として信じられている話としては東京・大手町の平将門の首塚。オフィス街では、この首塚に背を向けて机を配置するとそれがどんなに偉い役職の人でも病気になったり、左遷されたり、不運に見舞われる…というのです。
(東京・大手町、近代的なオフィス軍は迷信など信じない素振りだ)
たくさん挙げましたが、亡霊や怨念という、執念や熱意といったものに、人々は畏れとともに敬意を抱いていたとも言えるでしょう。たとえ失脚した人物であっても、その人物が全否定されるわけではない。むしろ神として崇めようというわけです。そういう点で、先人達は良心的であったとも言えます。
むしろ、本当に怖いのは・・・死者すらも持ち出して面白い話を仕立て上げようとする我々の魂胆の方かもしれません。そう思うと、静かに眠っている死者達に「出て行け(GET OUT)」と言われてしまっている気もします。
SUBARUにも執念というか、強い熱意、こだわりがあります。アイサイトをはじめとする安全性能、AWDや水平対向エンジンは半世紀以上も続く技術です。時代は電動化の時代へと叫ばれるようになり、先程あげたSUBARUの代名詞が、過去のものになろうとしているとも言えます。しかし、これらの技術が今もSUBARUの強みとしてお客様に受け入れてもらえているのは、技術者達の想いが時代時代の中でも古くならない本質を持っているからだとも言えます。
今年は、新型車のスポーツカーが発表されたり、そんなSUBARUの代名詞が過去にならずに続いていることへ敬意を抱いてしまいます。
さて、そろそろ8月も終わります。冒頭のOUTBACKはじめ来月はワクワクするニュースが盛り沢山!!是非次回以降の情報も楽しみにお待ちください。